ホテルや旅館といった宿泊施設が経営を考える際、星野リゾートのマーケティング経営戦略と長期的な視点が参考にできます。特に、開業してから安定運営に入るまでの間や市場環境が厳しいとき、そして持続的な観光へ実現が求められる今において、学ぶべきことがたくさんあります。
この記事では、星野リゾートのマーケティング経営戦略について紹介します。
長期的な視点で運営の専門家へ
1. 歴史と非上場ゆえの長期視点
星野リゾートは1914年に創業した歴史ある企業です。1991年に現社長が就任して以来、「運営に特化する」という方針を明確に打ち出してきました。
ホテル業界には不動産オーナー、投資家、金融機関など、さまざまな関係者が存在します。そのなかで同社は「所有や投資よりも運営の専門性」に軸足を置き、立ち位置をはっきりさせてきました。
また、非上場であることも特徴です。株主からの短期的な利益要求に追われることがないため、長期的なブランド育成や将来を見据えた投資を進めやすい環境があります。ファミリービジネスの性質もあり、意思決定の一貫性や柔軟さが事業を支えてきたといえるでしょう。
2. リート活用と長期パートナーシップ
現在は星野リゾート・リート法人が主要パートナーとして存在し、ホテル資産の長期保有を担っています。この仕組みにより、投資家が観光産業に広く関われる環境も整いました。
星野リゾートの考え方で興味深いのは「ホテルのライフサイクルを見据えた運営設計」です。開業直後は、資金調達や法規制への対応、地域住民との調整など多くのリスクがあります。さらに、開業後の3年間ほどは「需要の立ち上がり」や「コスト見積の妥当性」といった不確実性に直面します。
ただ、3年を過ぎると安定運営に入るケースが多く、資産としても評価されやすくなります。星野リゾートは、この「安定化までの時間」を短縮することを強みとしてきました。そこにマーケティングやブランドの力が大きく関わっている点は、経営者にとって参考になる部分ではないでしょうか。
3. 厳しい市場環境こそ運営力が問われる
社長就任当時、日本のホテル市場は外資系の進出や国内大手の存在により、供給過剰な状況にありました。単に「質の高さ」だけでは差別化が難しく、競争のなかで埋もれてしまう危険性があったのです。
近年では地方再生や新規参入が進み、施設の平均的な品質は向上しています。その一方で「どこも似ている」と感じられるコモディティ化も進みました。星野リゾートは、まさにこの課題を正面からとらえ「埋没しない戦略」を模索してきたといえます。
4. ポーター戦略に基づく差別化で「運営の専門家」へ
同社の考え方を支えている理論のひとつが、マイケル・ポーターの競争戦略です。ポーターは「戦略とはトレードオフを伴う選択である」と説いています。すべてを提供しようとするのではなく、何かを捨てることで独自性を打ち出す必要がある、という考え方です。
実例としてよく挙げられるのが、青森屋の再生です。青森文化を前面に押し出すことで集客に成功しましたが、後に競合施設が同じ要素を取り入れるようになりました。これは「トレードオフを伴わない差別化は模倣されやすい」というポーター理論を裏づけるものです。
星野リゾート自身が取った根本的なトレードオフは「所有を手放す」ことでした。資産を持たず運営に集中することで、事業拡大のスピードを高めました。結果的に「運営の専門家」というポジションがブランドにも作用し、独自の存在感を確立しています。
マーケティング理論をもとに”経験価値”と”買いやすさ”を重視

1. 「経験価値」を中心に据えるマーケティング
星野リゾートはまた、マーケティングの理論も積極的に取り入れています。フィリップ・コトラーやデイビッド・アーカーが示した「ファイブウェイ・ポジショニング」を参考にしています。
主に、顧客が商品やサービスを評価する際の基準を以下の5つに整理し、そのうちどこに力点を置くかを考える枠組みです。
<顧客がサービスを評価する5つの基準>
・商品
・サービス ・経験価値
・買いやすさ
・価格
星野リゾートは、この中で「経験価値」を最も大切にし、次に「買いやすさ」を重視しています。商品・サービス・価格は一定水準を守りながらも、体験そのものを最高水準まで磨き上げる。そして予約や購入のしやすさにも力を入れ、利用者にとっての利便性を高めています。
このように優先順位を明確にしているからこそ、「泊まること自体が心に残る体験」ができる施設として顧客が納得感をもって利用するため、価格競争の影響を受けにくくなります。この結果、直販システムの強化や収益性の向上にもつながっているといえるでしょう。
2. IT投資と「買いやすさ」の変革
「買いやすさ」の部分では、大規模なIT投資を行ってきました。(ちなみに星野リゾートには50名以上のエンジニアが社内には在籍しているそうです。)
OTA(オンライン旅行代理店)に依存しすぎると利益率が下がるため、直販システムを整備し、自社予約比率を高める努力を続けています。現在は自社内にエンジニアを多数抱え、航空券やアクティビティを含めた一括予約システムを開発。利便性を向上させることで「選びやすく、買いやすい」仕組みをつくっています。
この取り組みは単なる効率化ではなく、「体験価値を支える仕組み」として機能しています。「ITは競争優位のために活用する」と競合との差別化をつくり出す手段としてテクノロジーを取り入れているという面で、事業者にとって学びの多い事例といえるでしょう。
サブブランド戦略とマスターブランドの調整

星野リゾートのもう一つの特徴は、サブブランドの扱い方にあります。
「星のや」「界」「リゾナーレ」「OMO」「BEB」など、多様なブランドを展開する同社ですが、その位置づけは常に見直されています。
たとえば「界」は温泉旅館のシリーズとして独立性を持たせる方針がとられました。背景には、都市型ブランド「OMO」が拡大するなかで、ブランド間の影響を調整する必要があったからです。必ずしもすべてを「星野リゾート」の傘下に見せるのではなく、時代に応じて距離感を調整する柔軟さが見て取れます。
経営者にとって重要な示唆は、「ブランドは固定されたものではない」という点です。市場環境や顧客層の変化に合わせ、マスターブランドとサブブランドの関係をどう見直すか。その判断が、中長期の競争力を左右するのではないでしょうか。
メディアが取り上げたくなる”体験”と現場から生まれる企画力
星野リゾートは広告費を大きく投じるのではなく、ニュース性のある企画や季節イベントを通じてメディアに取り上げられる戦略を重視しています。
たとえば「氷上カフェ」や「雪上テラス」といったイベントは、体験としての魅力に加え、テレビや雑誌が取り上げたくなる要素を持っています。これにより、宣伝コストを抑えながら広範囲に情報を届けることができています。
また、広報は専門部署だけでなく現場スタッフの声も反映させています。日々の接客で得られるアイデアや顧客の声を取り込み、それを新しい企画やPRにつなげる「マーケティングホイール」という発想が浸透しています。小規模宿でも「現場から生まれる小さな工夫」を発信の起点にできる点は、参考になるでしょう。
地域と調和しながら持続的な観光の実現へ
1. サステナビリティとステークホルダーツーリズム
近年、同社が重視しているテーマのひとつが「ステークホルダーツーリズム」です。これは、観光事業が地域社会や環境にとって持続可能であるために、観光客だけでなく地域住民や自治体、環境への配慮を含めた「関係者全員の利益」を考える姿勢です。
例えば、1泊だけの団体旅行ではなく、連泊する旅行者を優先的に受け入れる方針を打ち出しています。連泊によって地域の飲食店や観光施設にお金が落ち、清掃頻度の軽減や人手不足対応にもつながるからです。観光客にとっても、中日を活用して地域を深く味わえるメリットがあります。
また、オーバーツーリズムへの懸念が世界的に広がる中で、入場者数の制限やダイナミックプライシングといった施策の必要性にも言及しています。桜や紅葉シーズンに料金を調整することで混雑を分散させる、といった発想は、観光の持続性を守る一つの方法といえるでしょう。
ダイナミックプライシングについては、以下の記事で詳しく紹介しています。興味がある方は、ぜひチェックしてみてください。
>>ホテル収益を最大化する最新戦略「ダイナミックプライシング」ノウハウ
2. 利益循環と再投資の仕組み
同社が持続的に成長してきた背景には「利益を次の投資につなげる循環構造」があります。繁忙期で得た収益を施設改修や新規体験プログラムに回すことで、翌年以降の顧客満足度と収益性をさらに高める。このサイクルが繰り返されることで、ブランド全体の競争力を維持しています。
さらに観光特化型REIT(不動産投資信託)を活用し、資金調達と運営を分ける仕組みも整えています。運営会社としての専門性に集中できる環境を築いている点も特徴です。
3. コロナ以降の観光と新しいツーリズム
コロナ禍を経て、同社は「ただ元に戻すのではなく、新しい形で観光を再構築する必要がある」と強調しています。
実際、世界的にオーバーツーリズムへの反発が高まり、観光客に対して行動変容を求める動きも強まっています。プラスチック削減やペットボトル廃止など、旅行者自身に環境意識を求める取り組みが増えているのもその一例です。
星野リゾートはこうした潮流を踏まえ、「地域に歓迎される旅行者像」を意識したマーケティングを進めています。つまり、単に数を追うのではなく、地域と調和しながら持続可能な観光を築くことを優先しているのです。
まとめ
星野リゾートの戦略を振り返ると、特徴は「トレードオフを受け入れ、以下の点で選択と集中を徹底する」点にあります。
・所有を捨てて運営に特化
・広告費を削り戦略的に企画
・直販を強化してOTAに依存しすぎない(直販比率は65%を超えるレベルにまで伸長)
いずれも犠牲を伴う選択ですが、その積み重ねが独自性と持続性を生んでいます。
もちろん、中小規模の宿泊施設が同じことをすべて実行するのは容易ではありません。ただし、以下3つの発想は規模を問わず応用可能です。
・誰に泊まってほしいのかを明確にする
・体験を通じて差別化する
・利益を次の改善に投資する
星野リゾートの事例は、経営者に「自社の立ち位置を改めて見直し、選択を伴う戦略を描く」きっかけを与えてくれるものだと言えます。













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