宿泊業界では近年、DX(デジタルトランスフォーメーション)の導入が急速に進んでいます。背景にあるのは、人手不足やコスト高騰といった経営課題、そして旅行者の体験価値をより高めたいという需要の高まりにあります。
なかでも星野リゾートは、顧客の”体験価値向上”と”予約しやすさ”を上げるDXの取り組みをしたことにより、直販比率は65%以上という業界でも突出した水準を達成しています。
この記事では、星野リゾートのDX事例を見ながら、宿泊施設が取り組むべきDXについて紹介します。
DXとは?IT化とは異なる定義と本質
DXの取り組みについて考える前に、まず押さえておきたいのはDXと単なるIT化は違うという点です。
● IT化:アナログをデジタルに置き換える(例:紙の台帳をExcelで管理)
● DX:デジタルを活用し、新しい顧客体験やビジネスモデルを創り出す(例:顧客データを分析し、新サービスを設計)
IT化が「効率化」で終わりやすいのに対し、DXは「収益モデルや競争力の源泉」を変革する取り組みを指します。経済産業省の定義でも、DXは「データとデジタル技術を活用し、製品・サービス・ビジネスモデル、そして組織文化までを進化させること」としています。
つまり、DXの本質は、効率化にとどまらず 「顧客体験の刷新」と「収益モデルの変革」 にあるのです。
宿泊業界におけるDXの具体例
宿泊業界において現場で進んでいる代表的なDXの取り組みは、以下のようなものがあります。
・ 紙の予約台帳 → クラウド予約システム(効率化)
・ OTA依存 → 自社直販システム+顧客データ活用(収益モデルの変革)
・ チェックイン手続き → スマートロック・モバイルチェックイン(顧客体験の刷新)
・ 宿泊データのAI分析 → 個別プラン提案(マーケティングの進化)
一方で製造業では、IoTによる工場データの収集や、自動車販売からサブスクリプションモデルへの転換などが進んでおり、DXは業界を問わず「仕組みそのものを変える」動きとして広がっています。
星野リゾートに学ぶDX活用
1. 「EMPTY ZONE」に注目して直販比率を65%以上に

日本の宿泊業界でDXを先進的に取り入れている事例が星野リゾートです。同社が注力しているのは、「体験価値」と「買いやすさ」の強化です。
星野リゾートは、宿泊予約をした後から実際の滞在までの期間を「EMPTY ZONE」と定義しています。この空白期間で顧客が他サービスに流れやすく、体験価値も薄れてしまうというリスクを秘めています。
しかし、実際の宿泊業界では全体で統合が遅れているのが現状です。
そこで同社は、アクティビティや航空券を宿泊予約と同時に手配できるシステムを構築しました。顧客は予約時に旅全体を設計できるため利便性が高まり、結果として直販比率は65%以上という業界でも突出した水準を達成しています。
2. IT投資による「買いやすさ」の強化
星野リゾートは50名以上のエンジニアを抱え、自社開発でシステムを進化させています。航空券・アクティビティ・宿泊を一括購入できる仕組みは、単なる効率化ではなく「体験価値を支える戦略的IT投資」と位置づけられています。これは顧客の利便性を高めると同時に、自社で顧客データを分析できる強みを生み出しました。
こうした取り組みは「買いやすさ」と「体験の充実」を同時に実現し、他社との差別化を後押ししています。
DXで顧客体験と収益モデルを刷新
DXは、顧客体験の拡張にもつながっています。特に、次のような先端技術を活用したマーケティングが注目されています。
・ VRホテルプロモーション:360度映像やVRコンテンツで施設を「事前体験」でき、予約率向上につながる。
・ ARホテル案内:スマホをかざすと館内情報が表示され、多言語対応も可能。利便性とホスピタリティを両立。
・ メタバースホテルPR:仮想空間にホテルを再現し、遠隔地から文化体験やイベント参加を可能に。海外顧客の予約獲得にも効果。
・ NFT宿泊券・ブロックチェーン決済:限定宿泊券をデジタル資産として販売。海外ファン層からの収益を直接獲得する新しい仕組み。
これらは単なる宣伝手法ではなく、顧客体験そのものを再設計するDX的な取り組みです。
このように、DXとは「効率化の道具」ではなく、「顧客体験と収益モデルを同時に刷新する仕組み」としてとらえる必要があります。
星野リゾートの事例が示すように、IT投資やシステム構築を「体験価値の強化」と「買いやすさの向上」に結びつけることで、他社との差別化と収益性向上が両立できます。
宿泊施設のデータ活用方法
続いては、宿泊施設の経営者や施設長にとって実践的なテーマである 「データ活用と収益最大化のDX戦略」 に焦点を当てます。
1. DXの本質は「データを価値に変えること」
DXの真価は、単に顧客接点をデジタル化することにとどまりません。そこから得られる膨大なデータを「価値ある判断」へと転換できるかどうかが重要です。
これまで多くの宿泊施設は、売上や稼働率を紙やExcelで管理してきました。しかし、こうした方法ではリアルタイム性に乏しく、経営判断もどうしても後手に回りがちです。現在は、ホテルデータ分析ツールの普及によって予約経路、客層別の単価、直販比率などを即時に把握できるようになり、現場がスピーディーに動ける環境が整ってきました。
例えば、ある旅館では、OTA経由の予約が急増したタイミングで直販キャンペーンを実施し、利益率の低下を防ぐことに成功しました。これは「勘や経験」ではなく「データに基づく戦略」が可能になった好例といえるでしょう。
2. レベニューマネジメントによる価格最適化
収益最大化のために欠かせないのが レベニューマネジメントシステム(RMS) です。需要予測に基づき、販売価格やチャネルを自動で最適化する仕組みで、大手チェーンホテルではすでに標準装備になりつつあります。
・ 閑散期:価格を柔軟に下げて稼働率を確保
・ 繁忙期:取りこぼしなく高単価で販売
中小規模の施設でもクラウド型RMSなら導入コストを抑えられるため、「空室を埋められない」という状況を回避できます。
3. 多施設運営はBIツールによる全体最適化を
単施設にとどまらず、多施設を運営する企業にとっては、全体最適の視点が欠かせません。ここで有効なのが BI(ビジネスインテリジェンス)ツール です。
複数の施設データを統合し、ダッシュボードで可視化することで、経営層・施設長・マーケティング担当者が同じ情報をリアルタイムに共有できます。
「どのエリアの稼働率が弱いか」「どの宿泊プランが利益率を押し上げているか」といった指標を全員が把握することで、迅速かつ一貫性のある戦略判断が可能になります。
大手宿泊事業者でもこうした仕組みを導入、活用して施設ごとの比較や改善策の横展開を行う事例が増えています。
単発の成功に終わらせず、グループ全体でノウハウを共有する体制は、規模拡大の中でも品質を維持する要因になっています。
4. CRMで顧客データを「資産」にする
データ活用の柱として忘れてはならないのが CRM(顧客関係管理) です。単なる顧客リスト管理にとどまらず、来館履歴・嗜好・予約経路を一元化することで、きめ細やかなアプローチが可能になります。
・ 誕生日に合わせた特別プランを案内
・ ワイン好きを対象にしたペアリングディナーの提案
・ ペット同伴歴がある顧客へドッグフレンドリープランを紹介

こうしたパーソナライズされた提案は、顧客の心に残りやすく、リピート率の向上につながります。OTAに依存するのではなく、自社の顧客基盤を強化できることが大きな意義です。実際、星野リゾートが直販比率65%以上を達成している背景にも、CRMを通じた関係性づくりがあると考えられます。
\自社の顧客にパーソナライズしたプランを提案する/
収益を最大化するDX戦略とは
1. DXで新たな事業展開も|データ活用と新規ビジネスモデル
DXの可能性は販売促進だけにとどまりません。例えば、以下のような新しい方向性も現実味を帯びています。
● インフルエンサープラットフォームの運営:ホテル自らがUGC(ユーザー生成コンテンツ)を活かした広告事業を展開し、宿泊以外の収益を確保。
● 会員制ホテルの高度な予約システム:単なる空室管理ではなく、会員属性データと連動させてアップセルやキャンペーンを自動化。
● DMC(ランドオペレーター)事業での顧客データ活用:旅行者の嗜好や行動に基づき、釣りや登山などアウトドア型、あるいは食文化重視型の体験を造成し、地域全体の付加価値を高める。
これらはいずれも「データと体験を軸にした新しいビジネスモデル」の試みです。
2. 星野リゾートも導入|DXによる持続可能な観光
DXはサステナビリティにも貢献します。データ分析により「連泊率の向上」が地域経済への波及効果を高めることが明らかになっています。
1泊旅行では消費が限られる一方、連泊すれば中日を活用した観光や外食需要が増え、地域全体に利益が回ります。星野リゾートも「連泊客を優先的に受け入れる」方針を掲げ、オーバーツーリズムを避けながら持続可能な観光を追求しています。
DXによる需要データの把握や価格調整が、この方針を実現する大きな助けになっています。
ホテルや旅館がDXを導入するにあたって
すべてを一度に導入する必要はありません。まずは「自社にとって顧客体験を強化できる技術はどれか」を選び、小規模トライアルから始めるのが現実的です。
データ分析やCRM導入など、即効性の高い取り組みから始めると効果が見えやすく、現場の納得感も得やすいでしょう。
DXの導入は「顧客体験の刷新」と「収益モデルの変革」を同時に進めることがゴールである、と意識することが大切です。
まとめ
宿泊業界におけるDXの重要テーマは、「データを基盤に収益最大化と顧客関係の深化を実現すること」です。
・ データ分析で意思決定を迅速化する組織運営や組織風土改革
・ RMSで価格戦略を最適化することによる、収益性の向上
・ BIで多施設を横断的に管理することによる競争優位性の確保
・ CRMで顧客を資産化することで、より効率の良いビジネスモデルへ変革
・ インフルエンサーや会員制ホテル、DMCへ展開など新しい事業分野への進出
これらを少しずつ積み重ねることで、DXは単なる効率化ではなく、「顧客体験と経営モデルを再設計する仕組み」へと進化します。
星野リゾートの事例などの新しい取り組みは、その方向性を裏づけるものです。今後、宿泊業界の競争力を左右する最大のポイントは「体験を軸にしたデータ活用」にあるといえるでしょう。













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